さっき友人に送ったメールの終わりに今の時間と日付がのっており、12月31日となっていて驚いた。

もうあの2018年が終わろうとしているようだ。

年の始まりに妻と決めた週一回ブログを更新するといった約束も、1、2ヶ月を過ぎると、途切れ出し、最終的には8月以降放棄する有様は、我ながらに恥ずかしく、情けない。

さすがに、今年最後ぐらいはもう一度、ブログを書こうと、書き始めた。

 

さて、何を書こうかと思って、あれこれ考えて書いては消してをしているともう2時間経った。朝4時。

もうやめようかと思いながら、昨日、妻と少し言い合いになったことを思い出す。

自分は言い合いになると、できてもないのに自分の理想を自分はできているかのように妻に話す。

昨日もというかもう一昨日か、妻に「もっと人生楽しんだ方がいい」という誰もが言える当たり前なこと言ってみたのだが、

今日(昨日)の朝、妻から「もっと人生を楽しもうと思う」と言われた。少し、驚いた。

妻曰く人生は堪えるもので、今まで心から楽しもうと思ったことはほとんどないらしい。でも、もっと楽しもうと思うということだった。

 

「人生は暇つぶし」「生きてるだけで丸儲け」、こんなことを言っているのはやはり男で、それを良い言葉と思うのは自分で、

女性はまた異なる感覚で生きているから、世界は成り立っているのだろう。

 

何を言いたいのかあいかわらず、まとまらないが、次の時代ではきちんとまとめていきたい。そう、もう眠い。

今年ももうすぐ終わる。そして次が始まる。その瞬間をきちんと想おう。

 

今年もお世話になりました。

どうぞ来年も宜しくお願いします。おやすみなさい。

 

 

 

帰省

この夏は実家のある山口に帰った。お盆の時期に帰るのは何年ぶりだろうか。

自営となり、渋滞や帰省の人で溢れ、交通費も上がる頃にわざわざ帰らなくても良いなと思っていることもあり、

そんな日をずらして帰るというのが常だった。

でもこうやってお盆の時期に帰ると、家の近所にある忌宮神社で行われる数方庭というお祭りをみることができる。

それは男たちが一人で長い竹をバランスを保ちながら持ち、女性は切籠(きりこ)と呼ばれる七夕飾りを持って、鬼石と呼ばれる境内の中心に置かれる石を周る。ことばだけでは一見少し地味にみえるが、そこに流れる緊張感などは、みていて静かに興奮する。

子どもの頃見ていたそれとはまた異なる感じ方や見え方をしていることが少し嬉しかった。

1800年続いているというこんなお祭りが、自分が育った街にあることはとても有り難く誇らしく感じた。

 

結局、山口に滞在したのは3日間という短い時間だったが、今はずっと一緒にいるのに、この街で過ごした時間を何も知らない妻と一緒にこの街やその周辺を歩くのもまた、とても良き時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月

暑い日が続いているが、良き光に満ちている。

妻が家の前で育てるひまわりは咲き、コメダのシロノワールとしろくまの棒アイスは溶ける。

夏が来た。7月の記録。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寅さん

最近、映画「男はつらいよ」シリーズを時間があると観ている。

当時テレビで流れていたのを少しみるぐらいな感じだったので、なんとなくしか知らなかった。

48シリーズもあるのかと思いつつ、少しずつでも全て観ておきたいなと思う。

寅さんの可笑しみは渥美清の深みであり、人間のそれでもあるように思う。

 

 

 

 

 

思ったこと

中学生の頃、ギリギリ、人には言わないにしても心のどこかでまだプロサッカー選手になりたいなどと思っていた。

到底かなわぬ夢にしても、その頃は今思い出すだけでも吐きそうになるような厳しい練習に耐え、それに応じるように、どんどんうまくなっていく感覚があったからだろうとは思う。ただその小さな想いもいつの間にか消え、異なるものへと変わっていった。

 

W杯で戦う日本代表の選手を見ながら、そんなことをふと思い出した。

 

たぶん、あのグラウンドに立っていた碧い人たちは、小さな頃の夢はプロサッカー選手ではなく、そんなのを通り越し、日本代表としてW杯で優勝することだったんだろうし、厳しい練習に耐えたのではなく、世界に通用する練習を求め、それをただひたすらにやり続けた人たちなのだろう。

 

最近、筋トレのアプリを見つけ、やり始めたのだが、僕の限界を超えていることも露知らず、次々と新たな筋トレを指示し、実行させる。こちらも意地になりそれについていこうと頑張ると、おそらく中学や高校のときぶりぐらいの尋常ではない汗をかいていた。それを終えたとき、疲れたというよりも驚きの方が大きかった。

限界というのは自分の意志によって決まるのだろう。だからこそ、一人であれば、その限界に達すれば、普通はやめるのだ。でも僕はこのとき、情けないながらも機械によって、自分でつくる限界を超えさせてもらっているようだった。

 

そんな汗びっしょりの空っぽの頭の中にふと思ったことが一つあった。それは、プロッフェショナルというのは、自分の限界を知りつつも、それを自分自身で超えていこうとし続けられる人なのだろう。そう、自身の中に監督でありトレーナーのような厳しい視点をも常に持ち続けられる人なのだろう。今回の日本代表は少なくともそんな人たちばかりだったように思う。

 

今更ながら、 自分もプロフェッショナルになりたい、と思った。 

 

 

話は変わり、今日は 7月7日。

大切な日。

どうかはやく雨が上がりますように。

 

 

 

サイトリニューアル

サイトをリニューアルしました。

URLも変わりましたので、併せてご確認いただければ幸いです。

 

www.ozok.jp → www.kozokaneda.com

 

庭園

今月のはじめ、三重と京都へ、重森三玲という作庭家が作った庭がある場所を中心に回った。

庭園は住処と自然をつなぐ空間でありながら、一つの独立した世界のようでもあった。

そこは自然に晒される空間であるゆえ、保存する難しさを併せもつ。変わりゆく中でそれらをどう維持していくか。

そんな意志を継ぐようにそこにいる、つよき人の存在もまた美しいなと思った。

 

最後に寄れた、無鄰菴。三玲の庭園ではないが、本当にいけてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

5月

5月は久しぶりに音楽をよく聴いていたように思う。

ceroの新譜を買ったり、映画『君の名前で僕を呼んで』を観て思わずサントラを買ったからだろう。

どうして君の名前で僕を呼んで欲しいのか、なんとなく映画を観ながら分かった気がしていたが、その意を訊かれた妻に、うまく説明することはできなかった。

 

5月の記録。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

家の前、川を挟んだ向こうの窓から時々、猫が顔を出していた。

妻と二人、それを見つけると、家を出るときの小さな幸せのように感じていた。

いつか、その家から人の気配は消え、猫も顔を出さなくなった。引っ越したようだ。

それからはその窓を見ると、寂しさのようなものを日々小さく感じている。

 

先月から、閉店を迎えるお店の方を撮らせていただく機会が二度ほどあった。

続いていたものが終わるということはどんなことか、そしてそのつづきを、顔が語っているように思った。

 

始まると終わり、そして終わると始まる。

大きくても小さくても、日常の流れのなかの機微を大切にしながら心に留めておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

タナビケ写真館2018春

先週の土曜日と日曜日、タナビケ写真館を行いました。来てくださった皆さま、本当にありがとうございました。

埼玉の東川口にあるtanabike(タナビケ)というギャラリーにて、年に春と秋の二度、

中判のフィルムカメラで撮影し、フィルムを手焼きプリントし、台紙に貼り、お渡しするという写真館。

 

当日は、隣にあるsenkiyaの前にある桜が、少し早めに開花する品種のようで、その日ちょうど満開になっていました。

その前でも少し、記念撮影をさせてもらいました。

 

今回が三回目ということで、撮影した30組ほどのおよそ半分くらいは、以前にもお越しいただいたご家族でした。

それがまた本当に嬉しかった。撮影しつつ、何か親戚のおじさんのような気持ちになり、子どもの成長やその変化を見て、幸せな気分を味わっていました。

 

写真の残し方というのは、人それぞれでいいのだろうと思います。

今日、一緒に仕事をした方と記念写真の話になり、そのご家族は毎年正月に家の前で、三脚にカメラを据え、セルフタイマーで写真を撮っていて、それをリビングに毎年貼り続けているらしく、もう、13年ぐらいは続けているんじゃないかと話されていました。寒い中、嫌々やっていた子どもも段々と楽しみにやるようになったということ。羨ましく、素敵だなと思いました。

 

写真の残し方のたくさんの選択肢の一つとして、この写真館もあればいいなと思います。

いつか、今年もあの写真館に行くぞと親に言われ、少しめんどくさかったり、恥ずかしかったりするけど、少し楽しみに来れる場所になればいいなと思ってたりします。

 

これからもどうぞ宜しくお願いします。

 

 

以下は昨年の秋に撮影した写真の数点です。